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大阪高等裁判所 昭和59年(行コ)61号 判決

大阪府富田林市若松町西二丁目一六九七番地の一

控訴人

富田林税務署長

金谷昌恭

右指定代理人

笠原嘉人

足立孝和

山藤和男

桜井進

大阪府藤井寺市国府一丁目三番四七号

被控訴人

津守光男

同所同番二八号

被控訴人

津守徳雄

右被控訴人両名訴訟代理人弁護士

杉山彬

主文

原判決中、被控訴人ら関係部分のうち控訴人敗訴の部分を取り消す。

右部分に関する被控訴人らの請求を棄却する。

控訴人と被控訴人らとの間に生じた訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、原判決事実中、被控訴人ら関係部分摘示のとおり(ただし、原判決添付別表一の(一)及び(二)の各審査請求欄に「昭和53年6月26日」とあるのをいずれも「昭和53年6月23日」と、同別表一の(一)の裁決欄に「2966667」とあるのを「2966666」と、同別表二の(一)ないし(五)の各審査請求欄に「昭53・6・26」とあるのをいずれも「昭53・6・23」と各改める。)であり、証拠関係は、原審及び当審訴訟記録中の書証目録と証人等目録とに記載のとおりであるから、それぞれこれを引用する。

理由

一  被控訴人ら主張の請求原因1、2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、先ず本件係争の贈与税に関する各決定の当否について検討する。

1  基治と被控訴人らとがかつて同居していたこと、津守ハイツの建築代金の総額が五一一二万円(昭和四七年中の支払分が五二二万円、昭和四八年中の支払分が四五九〇万円)であり、その全額が基治の金員から支払われたが、そのうち三七〇〇万円は、基治が住友銀行から借り受けて調達したこと、右借入金の支払いのため、津守ハイツの毎月の賃料を基治名義の預金口座に入金し、そこから右弁済のための金員が住友銀行に送金されて支払われていたこと、全大和センターの取得費用が七二〇三万四四九〇円(大和センター分が六二五三万四四九〇円、木田の物件分が九五〇万円)であつたこと、大和センターにつき、昭和四九年三月一日に基治の持分の一、被控訴人光男の持分四分の三とする所有権移転登記が経由されたが、被控訴人光男に関する持分登記は、昭和五五年八月二二日に錯誤を原因として基治名義に所有権更正の登記がなされたこと及び木田の物件につき、昭和五〇年九月六日に被控訴人光男名義による所有権移転請求権仮登記が経由されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲第四三ないし第四五号証、第五八号証、乙第三号証、第五ないし第八号証、第一一号証、第一二号証の一、二、第一六号証、第二五、第二六号証、第四二、第四三号証、第四七、第五二号証、いずれも原本の存在及びその成立に争いのない甲第五三、第五五号証、いずれも原審における被控訴人光男本人尋問の結果により真正に成立したと認められ甲第一ないし第二〇号証、官署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分は右本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第四八号証、原本の存在と今井建設及び被控訴人光男各作成部分の成立に争いがなく、その余の部分は右本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙第一号証、原本の存在と被控訴人光男作成部分の成立に争いがなく、その余の部分は右本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙第二号証、当審証人溝口茂の証言により真正に成立したと認められる乙第四一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第四四号証と、当審証人溝口茂、同藤井廣の各証言、原審における一審原告津守ふで(以下「ふで」という。)及び被控訴人ら各本人尋問の結果の各一部並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  基治(明治二八年生)は、かねてより妻ふで(明治四〇年生)、長女為子(昭和一〇年生)、長男被控訴人徳雄(昭和一六年生)及び二男被控訴人光男(昭和一九年生)と同居して生活していたところ、昭和三四年に為子が葉山芳一と結婚して他に転出し、昭和四一年に被控訴人徳雄が井上定子と結婚した関係で、その後は、基治、ふで、被控訴人徳雄夫婦及び被控訴人光男が同居家族として生活していた。

(二)  基治は、昭和四七年当時、農業に従事する傍らアパート経営をも行い、居宅とその敷地のほか、農地約四〇アール、木造アパート二棟、現金及び預貯金約五〇〇〇万円等を有していたが、トラツク運転手の被控訴人徳雄及び通産省勤務公務員の被控訴人光男は、いずれも給料のみを収入としていたものであつて、他に格別の資産を所有していなかつた。

(三)  被控訴人徳雄の妻定子と基治及びふでとの折り合いは、嫁としゆうと及びしゆうとめとの関係として必ずしも良好とはいえず、また、昭和四四年四月四日には、基治が自己所有の不動産をふでと被控訴人光男にのみ遺贈する旨の遺言公正証書を作成したこともあつたが、基治夫婦と被控訴人徳雄夫婦との間柄は、同居生活を継続し得ないほど険悪な関係ではなかつた。

(四)  基治及びふでは、昭和四五年ごろ以降、同人らにおいてなすべき所有財産の管理・処分、同人ら名義をもつてなす各種の事務処理等についての諸行為に関し、被控訴人光男に包括的に委任し、同被控訴人が基治及びふでに代わり、同人らの名義及び印章を使用して同人ら作成名義の文書を作成し、かつ、同人らの所有財産の管理・処分、債務の負担及び支払い等の諸行為をなし得る権限を付与していた。

(五)  昭和四七年一〇月ごろ、基治は、その所有に係る居宅を収去して、その跡地である自己所有の土地上に津守ハイツを建築することを発意したが、ふで及び被控訴人らもそれに同意し、その実現のために必要な諸行為一切は、被控訴人光男において担当・処理することにし、基治、ふで及び被控訴人徳雄は、その点に関する代理権を被控訴人光男に与え、とくに被控訴人徳雄は自己の実印と印鑑証明書をも預けた。

(六)  そこで、その後間もなく、被控訴人光男は、今井建設工業株式会社との間において、注文者を被控訴人徳雄、同光男及びふでの三名とする趣旨で「津守フデ他二名」として、津守ハイツ建築に関する工事請負契約を締結し、同年一二月中に右三名連名で一級建築士荒木隆常に対して右建築の確認申請手続を委任するとともに、その建築代金に充当するため、昭和四八年二月中に住友銀行から基治名義で三七〇〇万円を一〇年間毎月分割支払いの約定で借り受けた。

(七)  同年三月上旬、右建築の確認通知を受けたので、基治所有の右居宅に同居していた基治夫婦、被控訴人徳雄夫婦とその子二名及び被控訴人光男の七名は、その付近の基治所有の土地上に在つた被控訴人光男名義の居宅(実質所有者は基治)に移転し、同居生活を継続した。

(八)  同年四月ごろ、無人となつた基治所有の右居宅が収去され、その跡地に津守ハイツを建築する工事が開始され、当該工事は同年秋ごろに完成したので、基治夫婦と被控訴人光男とはその一室に移転したが、被控訴人徳雄一家は、被控訴人光男名義の右居宅に残留した。

(九)  津守ハイツの建築に関して要した費用は五一一二万円であつたところ、その支払いのために前記借用金三七〇〇万円を充当したのを含め、そのすべてを基治において出捐したが、そのうち五二二万円が昭和四七年中に、四五九〇万円が昭和四八年中に各支払われた。

(一〇)  津守ハイツについては、所有権保存登記手続が採られなかつたところ、その竣工後間もなく、藤井寺市においてその所有者に関する調査を行い、その際、その調査を受けた基治は調査担当者に対し、津守ハイツは被控訴人徳雄、同光男及びふでの三名の所有に係るものである旨を告げたので、同市においては、津守ハイツの所有者は右三名であると認定し、その固定資産課税台帳にその旨の記載をした。

(一一)  なお、津守ハイツについては、昭和四九年から同五〇年にかけて、ふでを契約者名義とする火災保険契約が締結されたが、昭和五二年秋ごろから始まつた控訴人関係者による当該所有者についての調査において、その調査担当者に対し、(1) 調査当初、基治とふでとは、その点については被控訴人光男に一任していると述べて確答を拒み、被控訴人光男は、ふでと被控訴人光男との所有であると述べ、(2) 同年一〇月ごろ、基治とふでとは、建築資金は全部基治において出捐したが、所有者は誰でもよいと述べ、(3) 贈与税に関する本件決定処分後の翌五三年三月ごろ、被控訴人光男は、再びふでと被控訴人光男との所有であると述べ、(4) 同年五月ごろ、基治、ふで及び被控訴人光男は、ふでと被控訴人光男との所有であると述べ、(5) 異議申立て棄却決定に対する審査請求後の昭和五五年八月ごろ、被控訴人徳雄は、被控訴人徳雄、同光男及びふでの三名の所有であると述べ、また、そのころ、基治とふでとは、基治の所有であると述べるに至り、(6) 同年九月ごろには、被控訴人光男においても基治の所有であると述べるようになつて、各人の供述は相違している上一貫せず、その間、右調査担当者は被控訴人光男に対し、もし津守ハイツが基治の所有物件であるならば、ふでや被控訴人らに対して贈与税が課せられるのを避けるため、公簿上の記載をもそのように名義変更手続を採るべきである旨の国税庁通達に基づく行政指導をしたが、被控訴人ら側関係者は何らその手続をしなつた。

(一二)  津守ハイツは、基治又はふでの貸主名義をもつて他に賃貸されたが、その毎月の賃料は、すべて大阪銀行の基治名義の預金口座に入金され、そこから住友銀行の同人名義の預金口座に毎月振込入金されて、同人の同銀行に対する前記借用金債務の支払に充当されていた。

(一三)  次に、大和センターは、新和産業株式会社から昭和四九年二月ごろに被控訴人光男名義で買い受けたが、その買受取得に要した費用は六二五三万四四九〇円であつて、すべて基治において出捐したものであるところ、同年三月一日、被控訴人光男の持分を四分の三、基治の持分を四分の一とする所有権移転登記が経由され、また、木田の物件は、木田美代子から昭和四九年中に被控訴人光男名義で買い受けたが、その買受取得に要した費用は九五〇万円であつて、すべて基治において出捐したものであるところ、同年三月一日、被控訴人光男の持分を四分の三、基治の持分を四分の一とする所有権移転登記が経由され、また、木田の物件は、木田美代子から昭和四九年中に被控訴人光男名義で買い受けたが、その買受取得に要した費用は九五〇万円であつて、すべて基治において出捐したものであるところ、昭和五〇年九月六日、被控訴人光男(登記簿上の「岩男」は光男の誤記である。)のために売買予約による所有権移転請求権仮登記が経由された。

(一四)  全大和センターは、基治又は被控訴人光男を貸主として他に賃貸されたが、その毎月の賃料は、前同様、すべて大阪銀行の基治名義の預金口座に入金され、そこから住友銀行の同人名義の預金口座に毎月振込入金されて、同人の同銀行に対する前記借用金債務の支払に充当されていた。

(一五)  昭和五二年秋ごろから始まつた控訴人関係者による全大和センターの所有者についての調査において、その調査担当者に対し、(1) 調査当初、基治とふでとは、所有者は知らないと述べ、(2) 贈与税に関する本件決定処分後の昭和五三年三月ごろ、被控訴人光男は、所有者は基治であるから、被控訴人光男名義の持分四分の三は基治名義に回復すると述べ、(3) 同年五月中、基治、ふで、被控訴人らは、所有者は基治であると述べ、その後も、被控訴人ら側関係者は、全大和センターの所有者は基治である旨の弁明を続けた。

(一六)  右の間、調査担当者は被控訴人光男に対し、もし全大和センターが基治の単独所有物件であるならば、被控訴人光男に対して贈与税が課せられるのを避けるため、公簿上の記載をもそのように名義変更手続を採るべきである旨の国税庁通達に基づく行政指導をしたが、被控訴人ら側関係者は容易にはそれに従わず、本件決定処分がなされてから二年半以上も経過した昭和五五年八月になつて、ようやく大和センターについてのみ、被控訴人光男と基治とが通謀していわゆる欠席判決によつて取得した基治から被控訴人光男に対する更正登記手続請求に関する判決に基づき、錯誤を原因として被控訴人光男の持分四分の三を基治の所有にする更正登記を経由したが、木田の物件については、現在に至るまで、依然として被控訴人光男を売買予約権利者とする所有権移転請求権仮登記が存在し続けている。

以上の各事実が認められ、この認定に反する原審における一審原告津守ふで及び被控訴人ら各本人尋問の結果の各一部は、いずれもたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足りる資料はない(なお、乙第四号証中の「津守基次」の記名押印部分は、昭和五三年ごろに被控訴人光男がほしいままに記載し押印したものであることは、原審における被控訴人光男本人尋問の結果によつて明らかである。)。

3  右認定の事実関係からすれば、津守ハイツは、その建築が完成した昭和四八年秋ごろから本件贈与税に関する決定がなされた昭和五二年一二月二四日までの間に関する限り、その固定資産課税台帳に記載されていたとおり、ふで、被控訴人徳雄、同光男が平等の割合である各三分の一の持分をもつて共有していたものと認めるのが相当であり、大和センターは、昭和四九年二月ごろから右昭和五二年一二月二四日までの間に関する限り、その不動産登記簿に記載されていたとおり、被控訴人光男が四分の三、基治が四分の一に各持分をもつて共有していたものと認めるのが相当であり、また、木田の物件は、昭和四九年中から右昭和五二年一二月二四日までの間に関する限り、その不動産登記簿上の売買予約権利者であつた被控訴人光男において所有していたものと認めるのが相当であり、しかも、右各物件を取得するための資金は、すべて基治において出捐したものということができるのである。

なお、前掲証拠によれば、基治は昭和五五年一〇月三〇日に死亡し、その葬儀は被控訴人光男を喪主として行われたことが認められるが、右認定の事実関係と弁論の全趣旨からすれば、被控訴人光男は、二男ではあつたけれども、当初から基治と同居していて、その同居中に同人の死亡を迎えたのであり、かねてより別居して他に独立の世帯を有していた長男の被控訴人徳雄に比し、基治との関係は極めて密接であつたから、基治の葬儀万端を執り行うべき喪主としては、被控訴人徳雄よりも被控訴人光男の方が適当であることは、その関係者においても十分に理解されていたと考えられるから、そのことをもつて、基治と被控訴人徳雄との仲が異常に険悪であつたことを示すものということはできず、したがつて、そのことは、被控訴人徳雄が昭和四八年中に津守ハイツについて共有者の一員となつた旨の認定をなす妨げとなるものではなく、また、基治が昭和四四年四月四日に自己所有の不動産をふでと被控訴人光男とに遺贈する旨の遺言公正証書を作成した事実も、同様に、右の認定をなす妨げになるものとはいえず、さらに、後記引用の説示のとおり、全大和センターを取得するために支払われた金員の一部が、被控訴人光男名義の普通預金口座や当座預金口座から支出された事実が認められるけれども、それらの被控訴人光男名義の各金員は、いずれも実質的には基治の所有に係るものであつたというべきことは、原判決二四枚目表三行目の「被告は」から同二五枚目表一〇行目末尾までに説示のとおりであるから、これを引用するものであり、したがつて、被控訴人光男名義の預金口座からの支払の事実も、右の認定を左右するに足りるものではない。

4  以上によると、基治は、被控訴人徳雄に対し、津守ハイツの持分三分の一を取得するための資金として昭和四七年中に五二二万円の三分の一である一七四万円、昭和四八年中に四五九〇万円から住友銀行に対する借用金債務三七〇〇万円を控除した八九〇万円の三分の一に相当する二九六万六六六七円を各贈与し(以上は被控訴人光男についてもほぼ同様であるが、その部分の控訴はないのでここでは判断しない。)、被控訴人光男に対しては、昭和四九年中に大和センターの持分四分の三を取得するための資金として六二五三万四四九〇円の四分の三である四六九〇万〇八六七円、木田の物件を取得するための資金として九五〇万円、合計五六四〇万〇八六七円を贈与したものというべきであるが、仮に控訴人主張のとおり、被控訴人光男が大和センターの取得につき二〇一五万二二三〇円、木田の物件の取得につき八〇〇万円、合計二八一五万二二三〇円の自己資金を支出したものとしても、被控訴人光男が全大和センターを取得するための資金として基治から贈与された金員は二八二四万八六三七円になるのである。そうすると、いずれも裁決後における被控訴人徳雄に対する昭和四七年分と昭和四八年分、被控訴人光男に対する昭和四九年分の各贈与税及び無申告加算税に関する各決定は、原判決添付別表一の(一)、(二)記載のとおり、それぞれの贈与価格を右認定額以下の金額であると認めてなされたことが明らかであるから、当該各決定はいずれも適法・有効であるというべきであり、その取消しを求める被控訴人らの請求は失当であるといわざるをえない。

三  次に、本件係争の所得税に関する各決定の当否について検討する。

1  控訴人主張に係る津守ハイツの昭和四九年ないし昭和五一年分の収入金額、一般経費、減価償却費及び支払利息の各総額、全大和センターの昭和五一年分の収入金額、一般経費、減価償却費及び支払利息の各総額、被控訴人徳雄の昭和四九年ないし昭和五一年分の各給与所得額、被控訴人光男の昭和五一年分の給与所得額は、いずれも被控訴人らにおいて認めるところである。

2  そうすると、昭和四九年から昭和五一年までの間、被控訴人徳雄は津守ハイツの持分三分の一を所有し、被控訴人光男は全大和センターの建物につき持分一〇〇分の七六・八(大和センターの建物の延床面積は一五七〇・九六平方メートル、木田の物件の建物の延床面積は一二〇・二二平方メートルであつたから、全大和センターの建物の延床面積は一六九一・一八平方メートルであつたところ、基治は大和センターの建物につき四分の一の三九二・七四平方メートル、被控訴人光男はその四分の三の一一七八・二二平方メートルと木田の物件の建物との合計一二九八・四四平方メートルを各所有していたから、全大和センターの建物の関係では、四捨五入により、基治において一〇〇分の二三・二、被控訴人光男において一〇〇分の七六・八の各持分を有していたことになる。)を所有していたから、被控訴人徳雄の昭和四九年分の所得は、不動産所得が一七二万九四九八円、給与所得が一六二万三〇〇〇円、合計三三五万二四九八円、昭和五〇年分の所得は、不動産所得が一七四万七四〇二円、給与所得が一五六万三六〇〇円、合計三三一万一〇〇二円、昭和五一年分の所得は、不動産所得が二〇九万八五八六円、給与所得が一九〇万八〇〇〇円、合計四〇〇万六五八六円であり、被控訴人光男の昭和五一年分の所得は、不動産所得が五五八万九三四二円、給与所得が一五六万〇八〇〇円、合計七一五万〇一四二円であつたといわなければならない(右各所得算出の明細は、原判決添付別表二の(二)ないし(五)、同別表五、六に記載のとおりである。なお、被控訴人光男の昭和四九年分所得については、控訴がないのでここでは判断しない。)。

3  ところで、いずれも裁決後における被控訴人徳雄に対する昭和四九年ないし昭和五一年分、被控訴人光男に対する昭和五一年分の各所得税及び無申告加算税に関する各決定は、原判決添付別表二の(二)ないし(五)記載のとおり、被控訴人らの右各年分の不動産所得及び給与所得の各金額をいずれも右認定額以下の金額であると認めてなされたものであるから、それらの各決定は、いずれも適法・有効であるというべきであり、その取消しを求める被控訴人らの請求は、失当といわなければならない。

四  以上によれば、右と趣旨を異にする原判決中の被控訴人ら関係部分のうち控訴人敗訴の部分は不当であるから、民訴法三八六条により、その部分を取り消した上、当該部分に関する被控訴人らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民訴法九六条本文、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 日野原昌 裁判官 坂上弘 裁判官 大谷種臣)

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